べんがら塗り(べにがら塗り)

 その由来と、意味あいは?

 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 










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べんがら建物
べんがら建物
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 







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べんがら製造メーカー、取り扱い企業紹介

森下弁柄工業株式会社 古色の美(販売)


貴重な情報をありがとうございました。

米原市(旧山東町はここです

伊賀並 正信 様より(滋賀県) (Up’99年1月8日)

.遊郭の赤い格子を弁柄格子といいますが、これは酸化鉄と削り炭を混ぜ合わせてにかわで溶いて塗ったモノです。

.弁柄の語源はインドの「ベンガル」地方のようです。インドではこの天然酸化物を仏像などを赤く着色するのに使ったようです。酸化鉄を建築用顔料として使う文化は世界各地にあり、天然に産出した地名を冠して、インディアンレッド、ベネチアンレッド、トルキーレッドなどと呼ばれています。南欧の赤屋根は弁柄で、北欧の黒屋根はマグネタイト(磁鉄鉱)の色です、ちなみに淡い黄色系の壁はゲータイトです。

.このインドの顔料は当時大変な貴重品で、オランダの東インド会社経由で長崎に17世紀初頭に入ったようです。ただし、弁柄は人類最古の顔料で日本でも天然採取のものが、縄文後期から使われており、古墳時代の石室の壁面などの赤彩色も弁柄だそうです。奈良、平安の寺院などの赤彩色も弁柄とか朱で、これは中国から入ったようです。

.日本では、宝永4年(1707年)に岡山県川上郡成羽町の吹屋というところで初めて国産製造されました。たしかこの町には復元した江戸時代の弁柄工場があって一般公開されていると聞きました。一度当地の役場か商工会に問い合わせてみられてはいかがでしょう。

.昔、弁柄の製造は、こぶし大の硫化鉄鉱と薪を交互に積み上げ、(5メートル位)火をつけて30〜50日位焼いて硫黄分を抜き、これを洗い煮沸し、上澄みを濃縮して出来た結晶を焼きガマでさらに焼き、何度も水洗いして硫酸分を抜くと酸化第二鉄(弁柄)ができると本に書いてありました。

.有田の陶工、酒井田柿右衛門の有名な「赤」も弁柄(酸化鉄)によるものだそうです。

.酸化鉄は科学的に非常に安定しており(錆ですから)、錆止め塗料としては最高です。木材の防腐塗料、漆器、陶磁器の着色などとしても昔から使われてきました。今は、ビデオテープ、フロッピーディスク(磁性体)のマテリアルです。

石川県の匿名さんよりお問い合わせがありました。(石川県)(Up03.10.10)

ご存知の方がいらっしゃいましたらご連絡をお願いします。

「赤いべんがらの壁」について伺います。

べんがらは、木に塗るだけではなく壁に塗ることも多いと思います。

輪島の方で、昔は武士にしか許されていなかった赤壁を、ひそかに蔵の中に用いた家がある。というのを聞いたことがありますが、本当でしょうか?

石川県では、「お座敷は赤い壁に、拭き漆などの柱、天井にしていた家」を以前は、時々見ました。

金沢の前田家の「成巽閣」にも、赤い壁の立派な広間があります。

べんがらの赤い壁は、当地では、50年前くらい以前に建った家でしたらお座敷などによく見られました。
今でも、こちらのお料理屋などでは、時々赤にしています。

これは北陸地方特有のことでもないと思います。というのは、京都の一力茶屋の壁も赤ではないかと思います。

吹屋小学校PTA 様より(岡山県) (Up99年1月12日)

吹屋は銅山とべんがらで栄えた町です。往時を偲び、観光を 目的とした、
べんがら館があります。製造工程などを昔のまま再現したものです。べ んがら館に関しては、吹屋観光協会 0866−29−2222にお尋ねになればと 思います。

 なぜ、べんがらを塗るかということで すが、防腐剤、防虫材の役目があるように聞いています。金属の場合は、錆止め、と して、食用の着色料としても使われていたようです。当地でも旧街道筋(町並み)の すべての家屋にはべんがらが塗ってあります。

成羽 大関酒造 様HPより(岡山県)  (Up99年1月13日)

吹屋ふるさと村は陶磁器、漆器の赤に使用された江戸から明治の当時最高品質を誇った
紅柄(ベンガラ)粉の工場やそのベンガラが塗 り込まれた格子窓に赤銅色の石州瓦が印象的な商家の続く家なみが保存されています。

中野 様 より (福井県) (Up99年1月13日)

金津町の町起しの製品です。昔は私の住む集落(金津町滝と申しますが)で盛んに瓦を作っておりました。子供の頃は、瓦工場の煙で、洗濯物が黒くなるといった話もありましたが、原料の粘土がなくなり、建材としての瓦の需要が減り、今では瓦工場は1軒もありません。

 江戸時代は、北前舟で北海道まで出荷していたとか。越前瓦は、冬の大雪にも耐えられる丈夫な瓦です。松の葉っぱからとれる
「べんがら」を塗って焼き上げ、俗に銀鼠色(ぎんねずいろ)と呼ばれる独特な色をだしていました。この「べんがら」に鉄分が多く含まれ、丈夫な瓦をつくれたようで、江戸時代では、先端的な技術だったようです。  時代とはいえ、鬼瓦を作る職人さんも我が滝地区では、2・3人になってしまったと聞きます。

草の根工房 様HPより (奈良県) (Up99年1月13日)

春日大社の神鹿にちなんだ玩具類は、昔からいろいろのものが多く作られてきました。 「郷土玩具辞典」(昭和46年刊斎藤良輔)に引用されている、文化10年(1813)刊の「五畿内産物図会」(大日本名産図会ノ内)に、 「大和国味椰毛母能(みやげもの)に練鹿」と記され、そして「練り鹿とは木型の上に反古(ほご)紙を張って作った張り子の鹿のことで、街道筋で売られて奈良名物の一つにも数えられた。明治14、5年ころからは材料に古葉書を用い、
紅殻(べんがら)塗りの上にご胡粉で鹿の肌の斑点を描いた。
 
 大正期には和紙を赤、黄に染めて細い竹片を芯にモミジの形を作り、60センチほどのモミジの枝に雌雄張り子鹿2匹を吊したものを売った。」と書かれていて、鹿の玩具類は、古くから種々もものが作られていたことがわかります。

関西夜景 100選HPより (京都) (Up99年1月13日)

祇園界隈は、鎌倉時代以前、すでに集落が存在していたことは古書に見えるが、室町時代、応仁の乱に焼けて荒廃。江戸時代初期の寛文のころ(1661〜73年)、八坂神社や清水寺への参拝客相手の茶店ができた。のち次第に茶くみ女が妍を競い合うようになり、歓楽地としての形が整えられ、享保17年(1732年)、遊里の公許が下りた。最近では街並みが近代化し、かつての面影は薄らいできたが、格子戸や
べにがら塗りの格子には、まだ往時の風雅と格調がしのばれる。

岡山県成羽町 吹屋べんがら館

          「吹屋ふるさと村」町並みの由来

この資料は、大関酒造様のお世話で、成羽町より頂戴しました。

弁柄の歴史
@江戸中期(宝永4年、1707年)吹屋の森屋と橋本屋という人がはじめる。しかし、この頃は、ローハが無かったので銅山の捨石の中から硫化鉄鉱を見つけて、それを買いうけ素朴な方法でつくる。

A安永年間(1772〜1780)のはじめに、ローハが製造されベンガラの製造も本格的になる。

B江戸末期には、窯元も10程あり明治・大正と繁昌する。

C昭和に入り次第におとろえ、特に戦後になり原料の安上がりの硫酸鉄が出来、それに燃料改革、交通の不便等の要因が重なり昭和49年を最後に火が消える。

弁柄の製法

@原料(昔はローハ、現在は硫酸鉄)→A焙 焼→B水 洗→C整粒、微粒→D脱 酸→E乾 燥→製品(ベンガラ)

@原料のローハをよく乾燥する。粘土製の盆状の皿(ホーロク)に少量ずつ盛り、200枚前後の土窯の中に積み重ね、松薪で火力700度位にて1日から2日3日焼く。これを焼キという。
B焼キは粉状のものと塊状のものとが混っているので、それを分離さすため水洗する。
C石臼で湿式粉砕を行い、粒子を小さく整える。
D多量に含まれる硫酸分を清水と攪拌する方法(ベンガラと水は溶け合わないので、時間がたてばベンガラは沈殿する。そして硫酸分の溶けたうわ水を捨てる。これを数十回から100回位繰り返す)で除く。
Eほし板で天日乾燥する。
F製品のベンガラ。

☆ベンガラ工場
最盛期には6カ所あった。
宝永4年(1707)9月、吹屋下谷の住人森屋某、橋本某の共同で創られた。
硫化鉄鉱からつくられる赤色顔料。
吹屋のベンガラは、久谷、伊万里焼きの絵付け、輪島の漆器、その他塗料に使用。
昭和6年リフレッシュふるさとモデル事業により整備、観光施設、陶芸館も併設されている。


全国ではじめて吹屋で生産されて以来、江戸末期、明治、大正と大いに繁昌を続け、吹屋町並みの基礎をつくりました。
ベンガラ館は、明治の頃の弁柄向上が当時の姿に復元されたものです。
往時、この谷合には弁柄工場が4か所ありました。
べんがら工場


藤本さん   (岡山県)  (Up2000年8月30日)

弁柄工場が成羽町から移転してきたのが
大正年間だということですので・・・。

1.塗料として
 鉄の錆止め、食紅、アスファルトのカラー舗装
2.磁性材として
 フェライト磁石、磁気テープ、フロッピー
3.燃焼補助材として
 ダイオキシンの発生を抑えるため、コミ袋のなかに
 半透明で橙色をしたものが多くなってきました。

ちなみに、滋賀県では真っ赤なこんにゃくを食べる
そうですが、べんがらでは無いのでしょうか?
赤い色素はべんがら、パプリカ、貝殻虫の一種(南米産)
などが食用です。



永源寺町      (Up2000年8月31日)

上記真っ赤なこんにゃくについての質問の答えていただきました。

基本的に永源寺町のこんにゃくにはベンガラを使用していません。
近江八幡には赤こんにゃくがあって、
かつてはベンガラが使われていたとか。(確かではない)
ただ、最近は食品衛生の関係で
ベンガラを使っているようなこんにゃくはないはずです。
滋賀県で赤いこんにゃくを食べるのではなく
近江八幡市の特産だと思います。



オート バイで全国の国道をめぐる旅をしている方から(Up20001年6月19日)

国道367号線を北にすすむ。保坂というところで、今津からきた国道303号線に入り、小浜をめざす。水坂峠を越え、少し走ると熊川宿に入る。
 熊川宿は、鯖街道のなかでも、ふるい街並みが最も残っているところだ。なかでも、中ノ町(なかんちょう)は、街並整備が完了しており、電柱のない、美しい景観となっている。家の壁は木でできており、黒っぽくて渋いのだが、格子は赤く塗られている。べんがら塗りというのだろうか。
 まちのなかを小さな水路が流れているが、この水は生活用水として、現在も使われているらしい。なかなかの景観である。遠くからきてよかった、と思えるところだ。


見つけました、京都にもありました

稲荷山の住宅(6) べんがら塗り

ありましたね
音戸山は僕の住んでいる京都市の西北にある小さな山の名前です。仁和寺の奥にあり、地名で言うと、鳴滝から広沢にかけての昔の別荘地で、この奥は高雄を経て、京北、美山へと通じるあたりになります。

山口県 徳山市 T・T様よりメールをいただきました(Up2001.7.10)

べんがらの使用方法を調査していたとき、この情報知りました。 私の住んでいる地区(山口県徳山市)は古い家ほとんどが柱、鴨居、天井、垂木等にべ んがらが塗られています。 べんがら塗りは防腐剤の役目にもなり、建築物の化粧とも なっています。 私の家は築後100年になりますが、家の修理に正しいべんがら の使い方を求めています。

KayさんよりMAILを頂戴しました。(Up2002.1.10)

はじめまして、大学で建築を学んでいる者です。 卒業設計の関連資料を探しているときにこのHPを知りました。 べんがらの情報が得られて大変助かりました。 ところで、私の住んでいる福岡県八女市には「べんがら村」なる温泉施設(市営)が あります。 建物にべんがらが塗られているかどうかは?ですが、父からべんがら色というものが あると聞いたことがあります 結構、全国的なものかもしれませんね。 何かのお役に立てれば幸いです。 kay 

     


町家改修ニュース

 "べんがら格子"と言う言葉は、インドのベンガルに産する黄土を焼いてつくった赤色の顔料"べんがら"を塗料として使ったことに由来するようです。"べにがら"という読みは"べんがら"に紅殻と言う漢字を当てたことによるものです。弊店町家も"べんがら"と建築用の松煙を混ぜ合わせ、それを菜種油で溶いた昔からの製法の塗料を使っています。古材の色に合うように慎重に色合わせをしながらの作業が進んでおります。



べんがらの塗り方(お問い合わせの返事)

大工さんに聞いたところ、
べんがらを、番茶で溶く(艶を出すため)→溶いた後、少し休ます(時間を置く)→素材に塗る→乾かす→(2回程繰り返すとより良いようです)→乾いてから”なたね油”で磨く(はげにくくなると共に、艶が出る)。
大工さんによっては、塗り方の色々あるようで、溶く段階でなたね油を入れられる方もいるようです。
べんがらの量と水等の配分量は、適当で、薄いと思われたらべんがらの量を増やせば良いとのことです。