滋賀県坂田郡山東町大字烏脇

(日の丸に八咫烏)

要約
烏脇紋所の三本足の烏:八咫烏(やたがらす)
大昔国造りの祖神伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱万神(ふたはしらよろずのかみ)が天降られた所が湖北だと伝えられている。
ここから姉川を利用して上り東征され須佐三男命(すさのうのみこと)が伊吹山附近乃八岐大蛇(やまたのおろち)を退治された時、垣籠(かいごめ)乃村人は木間櫻(こまざらい)をもち保田は帚(ほだれ)をもち、堀部の村人は唐鍬(からぐわ)をもち、石田の村人は鎌をもって草木を刈り道をつくり命を助けたそうです。
神を垣籠坂より伊吹山へ道案内を申し上げその功により八咫烏(やたがらす)の紋所を貰い、日の丸に三本足の烏が村の紋所となって伝えられております。
 また、一説には、伊吹山から山本山への道案内をしたのがこの烏ともいい伝えられている。
幕も作られております。
(”山東昔ばなし”より 昭和52年発行)
この云われは、いまでは故人となられた方が当地区の歴史を調べ記されものです。
その他、諸説があるようです。



三世紀のころ、朝鮮の渡来人が、太陽に三本足の烏を故国の旗印としていました。
「烏は太陽からの使者である」と云う、伝説が、中国・朝鮮にあり、在地化したものと考えられます。
それらの人たちが大字烏脇に、天津小屋根根命(あまつこやねのみこと)を神明宮(現神明神社)に祀り、その旗印を神紋としました。
烏脇には、古くより太陽に三本足の向い烏に波を図案化した、紋所があり、幕や提灯に描かれ今に伝えられています。
古事記に、「神武天皇のご東征に八咫烏が先導して、今天より八咫烏を遣せむ」と伝えています。
”山東の姿”より(平成6年発行)