日本国内には、三本足のからす(八咫烏)をモチーフしたシンボルに持つ地区が全国で5ケ所程度あるように 聞いておりますが詳しくは分かっておりません。

和歌山の那智勝浦町に一カ所。
九州に一カ所。東北地方に一カ所。そして、わが町、滋賀県米原市烏脇(旧-坂田郡山東町)。
カラスの多くはやたがらす(八咫烏)という種類だそうです。


山東町烏脇紋入り幕
明治天皇御即位式図屏風
棟方志功作 「花矢の柵」
三本烏文裂 MIHO MUSEUM 所蔵
鴉之宮(からのみや)御由緒
南上会 布団太鼓HPより

八咫烏のうちわ


那智勝浦町 那智勝浦町 熊野神社のからす 熊野大社の烏
熊野速玉神社のからす絵 熊野速玉大社の烏 賀茂神社のからす 賀茂建角身命
(賀茂神社)
那智大社のからす絵 熊野那智大社の烏 九州下上津役のからすの絵 北九州市下上津役
の熊野神社の烏
財団法人日本
サッカー協会のマーク
東京新宿熊野神社のからすの絵 東京新宿十二社
熊野神社
山代温泉 サッカー協会のマークの絵 虚構新聞より

 
     

御由緒
鴉之宮
(からのみや)
熊野本宮大社神紋の新・旧

英語版ウィキペディアによると日本、韓国、中国、エジプトに3本足の烏の伝説があるようです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Three-legged_bird
ホームページより抜粋


 3本脚の「ヤタガラス」を捕獲、神話裏づけ 島根・出雲産大

虚構新聞より→島根県立出雲産業大学農学部は31日、足が3本あるカラスの捕獲に成功したことを発表し、世界で初めて報道陣に公開した。日本神話にも登場するこの3本脚のカラスは「八咫烏(ヤタガラス)」の名で知られており、長らく自然界には存在しないと言われてきた。出雲産大では今後つがいとなるメスのヤタガラスの捕獲を急ぎ、人工繁殖につなげたいとしている。

詳しくは、下記リンク先でご確認を。
http://kyoko-np.net/2012080101.html
(疑問-この記事は本物かな?)


MIHO-MUSEUM(滋賀県甲賀郡信楽町桃谷300 )

三本烏文裂(さんそくからすもんきれ)として絹地に刺繍された三本足の烏が紹介されております。
http://mx.miho.or.jp/booth/html/artcon/00002323.htm


教科書が教えない歴史 より

八咫烏 記紀神話と熊野の伝承の中に三本足の烏について興味深い内容が掲載されております。


2000年は辰年
伝説によれば、3本足の烏は月の象徴で、先ほどの玉虫厨子の壁画には月の中に3本足の烏が描かれております。

縁起のよい3本足の烏と高貴でおめでたい竜が合わさったお茶が烏龍茶(皇帝用のお茶)でありその烏龍茶の烏は三本足の烏のことです。


日本のカラス神話
羽黒山の開祖・能徐仙が羽黒山の山の深さに思いわずらっていると、三本足の烏(八咫烏の説も)が道案内をしたという伝説。<験比べ(げんくらべ)>という山伏が修行によって得た験(しるし)を競い合う行事の中に<烏とび>というものがあるが、山伏が烏帽子(えぼし)に杖をついて歩く姿を「三本足の烏」ととなえる説もある。


皆様からメール等により情報を寄せていただいております。

三重県在住のKさんよりメールを頂戴しました。

この度、こちらのホームページを拝見させて頂いて、三本足のからすについて情報を求めていらっしゃるようなので、私の拙い知識でも宜しければご紹介致します。

三本足の烏については、昨年の夏に敦煌へ行った際に、西晋時代の豪族の墓の壁画でも見ました。
やはり、日輪の中に描かれており、月輪の中には蛙が描かれておりました。
他にも、力士や九尾狐など様々なものが描かれていましたが、現地での説明では、こうしたものは瑞福のもので、強さや富、子孫繁栄などを意味するそうです。

帰国後、気になって調べてみますと次の様に記されていました。
 袁珂著 『中国神話・伝説大辞典』 大修館書店 1999.4
 さんそくう【三足烏】
  太陽のなかにいる三本足の烏。後漢代の王充の『論衡』「説日」に「日のなかに三足烏がいる」、 前漢代の劉安の『淮南子』「精神訓」に「日のなかに※烏(そんう)がいる」とあり、後漢代末期の 高誘が「※」は「蹲」で、そんうは三足烏である」と注を付している。また、後漢代中期の王逸が 前漢代の『楚辞』所収の「天問」に対する注に引く『淮南子』に、「堯が※(げい)に天を仰いで 十日を射るよう命じたところ、九日に命中した。九日のなかにいた九羽の烏〔九烏〕はみな死んで、 その羽翼を落とした」とある(現行本にはない)。すなわち、三足烏とは日精のことである。
  また、日車〔日を乗せる車〕の御者であるとも伝える。すなわち、後漢代の郭憲(かくけん)の 『洞冥記』巻四に、「北東に地日の草、南西に春生の草があり、・・・・・三足烏はしばしば下界に おりてきてこれらの草を食べるが、義和は日車を御させようとして、手で三足烏の目をおおって 下界に降ろさなかった。この草を食べた三足烏は老いることがないが、ほかの鳥や獣が食べると 悶えて動けなくなる」とある。
  前漢代の司馬相如は「大人の賦」(たいじんのふ)で、「目のあたりに西王母を見る。白髪に華勝〔首飾り〕を戴いて穴居するも、幸いにも三足烏が仕える」と詠じている。すなわち、日の中に いる神禽の三足烏は主に仕える鳥なのである。そのため、漢代の画像甎(がぞうせん)には つねに三足烏と九尾狐が瑞鳥と瑞獣として西王母の傍らに描かれている。

『中国神話・伝説大辞典』 には、他にも三足の動物が色々と載っています。なかでも興味深いのが三足蟾(さんそくせん)で、月の中にいる三本足の蟾(ひきがえる)なのです。ただし、こちらは清代の書物に出てくるようで、それ以前の記述が南宋代まで遡るそうですが、三足烏に関する記述の書物より年代が下がるようなので、三足烏に対して月の蟾が三本足になった可能性も考慮しなければならないと思います。


岩手大学人文社会科学科の学生さんからのメール。


太陽の黒点が烏の起源になったという説があるそうです。他にも関連する話が講談社文庫『中国の歴史、一』(陳舜臣著)に載っています。ほんの少ししか載っていないのですが、中国神話との新たな関連性も見つかるのではないかと思います



  ”烏の本” 神の使いか悪魔の手先か
 
からすのついて、あらゆる角度から研究されており非常に興味深く読み応えのある図書です。
こんなことも紹介されております。

もう一つの八咫烏伝説
出羽三山の一つ羽黒山の開祖、能徐仙崇峻天皇の第三皇子が、天皇が蘇我馬子に殺されたため、流浪行脚の末、羽黒山に入ったと伝えられている人物で蜂子皇子とも呼ばれております。
能徐が、羽黒山の深さに思いわずらっていると、三本足の烏(八咫烏の説も)が道を案内したという伝説が残っています。
<験競べ(げんくらべ)>という山伏が修行によって得た験(しるし)を競い合う行事のなかに<烏とび>というものがありますが、山伏の烏帽子(えぼし)に、杖を持って歩く姿を「三本足の烏」ととなえる説もあります。

烏山商工会むらおこし事業実行委員会発行 烏の本より抜粋
栃木県那須郡烏山町金井1-5-11(烏山商工会内)
tel 0287-82-2323


南上太鼓保存会 YATAGARASU 様よりメールを頂戴しました。


「社頭の森中より三足の鴉を飛ばして軍戦に駕せしめ 海路の方向を示し、かつ守護なさん」 との神告を得て、宮司自ら先導しそうです。
神告どおり海路は波穏やかで しかも三つ足の鴉(八咫烏 やたがらす)が軍船の前後を飛び 水先案内をし、守護したといいます。
この戦いは大勝利に終わり文禄2年正月 全軍無事凱旋したことから秀吉は神社の名を 鴉之宮に改められたと伝えられています。

八咫烏とは 
神魂命(かみむすびのみこと)
孫賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと) の化身と伝われています。
また中国の古代説話で太陽の中にいるという
三本足の赤色のからすのことでもあります。
八咫(やた)とは長さの単位であり巨大なものを表すのに使うそうです。

右側の蒲団締め金具は3本足の鴉です。
南上会の若中達のハッピにも背中の部分に3本足の鴉が描かれています。
地元の若者達はこの鴉のハッピに憧れます。


加賀温泉郷 山代温泉
<それは、一羽の鳥にはじまった。>

 約1300年前の神亀二年(725)のこと。
 全国行脚に出ていた高僧・行基は、白山へ信仰登拝に行く途中、山代あたりに紫色にたなびく雲を見ました。
 ひきよせられるように向かっていくと、行手の水たまりで羽の傷を癒している一羽の鳥がいました。
 不思議に思って手を浸すとそれは温泉でした。
 行基は里人にこのことを告げ去り、以来、この地に温泉が広まったといいます。

古くからから「鳥の湯」といわれる山代温泉の開湯伝説 (温泉縁起より)



「山代温泉の旅館”瑠璃光”様より」

山代温泉商店街のシンボルマークがこの「八咫烏」です。 千三百年前、烏が温泉で羽の傷をいやしてい
たのを行基が発見した、というのが山代 温泉の起源なのです。そして、その源泉”瑠璃光”を冠した宿が
「当館・瑠璃光」です。
お客様にお配りするカラスのキャラクターの携帯ストラップがありまして、 3本足の「やたがらす」ってどん
な漢字で書くの?ということから調べてこちらに参 りました。 「八咫烏」という立派な漢字があることも、
(野太烏、また地元の地名をとって矢田 烏などと想像していましたから。)古事記に起因するということにも
驚きました。 温泉発見については、おそらく近代になってこじつけた起源かもしれませんが、 全国にこの
キャラクターを使われている団体・地方が多数あることも新鮮な発見でし た。



「山浜様からの情報」

山形県鶴岡市大山には次のような民話があります。

 三本足のからすについて

 昔、幸一という屋根葺き職人がいました。仕事柄、カラスと仲良しで不思議なくらいカラスのことをよく知っておりました。幸一には、妻よしと二歳になる一人娘ひばりがいましたが、妻のよしは病気で亡くなってしまいました。
 困りはてていた幸一の前に今まで見たこともない女の人が訪ねてきて、幸一の話に同情した女の人は当惑する幸一をよそに、自分が住むという八乙女の岩屋に連れて行き、一緒に暮らすことになりました。
 その女の人は朝早く起きて一生懸命働きましたが、ある日、いつまたっても起きてこないので、幸一が心配して見てみると、顔は人でも体はカラスだったそうです。
 正体を知られた三本足のカラスは理由を幸一に告げます。
 「私は3本足のカラスなのでお宮の仲間に相手にされませんでした。神様にお願いしたところ、人間の子供を5年間育てれば、2本足にしてやるとのことでした。また、神様は、三本足のカラスが2羽になれば三本足も治せるだろうといっておりました。
 これまで一緒に暮らしてきましたが、あと一年を残して正体を知られてしまい残念です。これ以上、暮らすことはできなくなりました」と言い残して、出ていってしまいました。
 その後、幸一の娘ひばりも15になり、娘ざかりとなりました。
 近くの7人の同じ年頃の娘と仲良くなり、村の評判となっておりました。
 ある日、幸一は夢で神様に会い「おまえは、あの女を忘れることはできないだろう。どうだあの女と一緒になりたいのならば、いっそのこと3本足のカラスにならないか?」といわれました。
 幸一は神様にお願いして、3本足のカラスにしてもらいました。
 やがて幸一カラスは神様に召し出され、越後の弥彦の沖まで蜂子皇子の船を迎えに行き、八乙女に船をつけるように案内しました。
 ひばりをはじめとする8人の娘は皇子を出迎え、3本足のカラス夫婦は皇子を羽黒山の道案内をしたそうです。
 その後、娘のひばりや7人の娘はよいお婿さんを迎えて幸せに暮らしたそうです。
 また、その後、この村周辺には美しい娘が多く生まれるようになったそうです。
 
                           「大山の昔話」より抜粋


「千葉県我孫子市に住むMさんからのメール」

1 我孫子を中心にして当地周辺には古くから「おびしゃ」という神事があり > ます。その中に弓で烏の的を射る行為がありまして、その烏が三本足の烏(八咫烏)のケースというのが多く見られます。もともとこれは中国の「射日神 話」(以下に記載)に基づいたもので、「烏」イコール 「太陽」という設定で の神話からきていることは確実です。
(射日神話)中国では昔、太陽は10個あると思われていた。或る時10個の太陽 が一度に空をかけめぐり。大地の草木はみるみる焼け焦げ 枯れてしまった。ある弓の名手が9つの太陽にいる9羽の烏を射落とし、地上の人々は焼死を免れた。残った1つの太陽は恐れをなして、岩 屋にこもり、この世は闇になる。そこで新たなる太陽を新生し、混沌とした秩序を立て直す。
「おびしゃ」はまさにこの太陽新生を儀式化したものと言えます。
 この新しい太陽を拝むというのは、元旦に初日の出を拝む日本人の自然信仰とも通じることかも知れません。
2 私の勤務する新宿の熊野神社のシンボルも勿論「三本足の烏」=「八咫烏」ですし、全国の熊野神社すべてのシンボルは八咫烏だと思います。
 上記の話を含め日本でこの「三本足の烏」、「おびしゃ」を専門的に研究している唯一の方がおります。
 私の知人で民俗学者の萩原法子氏です。現在彼女は「熊野神社、太陽信仰、三本足の烏」について本を執筆中です。8~9月には 出版の予定のようです。興味がありましたらご連絡ください。
(追伸)7月25、26日青森に出張しました。その際時間があったので「棟方志功記念館」に寄り志功の板画を何点か観ました。その中に「花矢の柵」と いう青森県庁に飾られた壁画の原画が展示されており、その大きな画の右上に太陽、左下に月が描かれておりました。そしてな んとその太陽の中に「三本足の烏」が描かれているのです。月の中には兎です。驚いて知り合いに聞くと志 功はよく烏を描いているとのこと 。
  「太陽」イコール「烏」の思想、思考、連想は志功の頭にすっかり刻み込まれているようです。私にとっての新たな研究課題が出て来たので今日は若干興奮気味です。
 


「北九州市八幡西区 ぐっと9様からのお便り」  からすロゴ 神社と御輿の写真が掲載されております

私の町にもヤタガラスがいます。 7月14日、北九州市八幡西区下上津役(シモコウジャクと読む)の「熊野神社」の御輿を担いできました。ちっちゃな神社のちっちゃな御輿です。 この神社のマークがやはり3本足のカラス、ヤタガラスです。 「熊野神社」と言う名前から、熊野地方とどこかで繋がっていたと想像できますが、 こちらは九州、あまりにも離れているので大変不思議です。
ちっちゃな御輿は良いことだけど、一つ問題が、、、
     暴れ御輿なんです。^-^)


「賀茂神社 裲宜 岡田 能正さまからのメール」  やたがらすリンク集

私は近江八幡市加茂町にある 近江の國随一競馬守護 御猟野の杜 賀茂神社 裲宜 岡田 能正 です。 私共賀茂神社のご祭神は賀茂建角身命を中心に賀茂一族の神様をおまつりしております。 ご存じのように、日本の神話に出てくる賀茂建角身命は八咫烏の化身であり、日本創建の導きの神様でありますことは言うまでもありません。


「大津市の方からの情報」

やたがらすの伝説は各地にあるようですね。
今はなくなりましたが、ボーイスカウトの近畿地方実修所を
終了した者に与えられる、ネッカチーフには「やたがらす」の刺繍を張り付けてありました。
今は制度が変り、地方研修所となっていますので、やたがらすも見かけなくなってしまいました。

私にとっては かわいい やたがらすです。
(昭和43年夏のこと あー古い


「ハットリ様からの情報」

3本足のカラスは、私の出身高校(岡山県立岡山朝日高等学校)の運動部のシンボルマークで
あったという記憶があります。特に、柔道部の柔道着に図案化されていたと思います。

 この「3本足のカラス」については、知識もなく、今日まで記憶のかなたに追いやられていたわ
けですが、サッカー協会のシンボルマークが3本足のカラスと聞いて、昔の記憶(20年以上前
です)が、よみがえりました。
 そして、貴HPにて、ヤタガラスをシンボルとして持つ地域が全国に複数あるということも初め
て知りました。


「島岡様からの情報」

はじめまして、3本足のカラスについてですが、もう既にご存知でしたらしょうがないんですが、
以下のページに3本足のカラスの起源が、紹介されていましたので、お知らせします。

http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/tanabata.htm

記憶に間違いなければ、島根県美保関町の美保神社にも三本足の烏が太陽のシンボルとして
用いられていたと思います。(ただし挿入のjpegでは確認できませんが)


「岡山県立烏城高等学校」 烏白高等学校ロゴ

校章には烏城の名に因みカラスが図案化されています。三本足のカラスの神話は日本にも中国にもあります。
中国の伝説では三本足の烏は太陽に住む鳥だと伝えられています。また、日本の神話では神武天皇東征の時、
熊野から大和へ入る険路の先導をした「八咫烏」(やたがらす)が三本足のカラスであったと言われています。
 昔からカラスは大変頭の良い生き物として、人間と深い関わりを持った鳥でした。烏城高校の校章は、太陽に
住む三足烏がまさに飛び立とうとする姿を図案化したものです。


その他、数々のご連絡をいただいております。
なんでもかまいませんから、三本足のカラスをシンボルに持つ地区の方や、周辺におられる方。
また、三本足のカラスの由来など情報等をお持ちの方は、是非、メールをお願いします。